大今良時『マルドゥック・スクランブル』

冲方丁の小説『マルドゥック・スクランブル』に出会ったのは中学三年生のころである。
今に至るまで4回は通して読んだし、続編「マルドゥック・ヴェロシティ」も同じくらい読んだ。
縁あって『聲の形』で有名な大今良時によるコミカライズ版をKindleで購入してみた。

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小説版のあらすじ

なぜ私なの?―賭博師シェルの奸計により少女娼婦バロットは爆炎にのまれた。瀕死の彼女を救ったのは、委任事件担当官にして万能兵器のネズミ、ウフコックだった。法的に禁止された科学技術の使用が許可されるスクランブル‐09。この緊急法令で蘇ったバロットはシェルの犯罪を追うが、そこに敵の担当官ボイルドが立ち塞がる。それはかつてウフコックを濫用し、殺戮の限りを尽くした男だった。

漫画版のあらすじ

なんで私なの? 身寄りのない少女・バロットは、救いの手を差し伸べたはずの男・シェルに突然殺されかける! 瀕死の状態から目覚めると、その身には金属繊維の人工皮膚と、あらゆる電子機器を操る力が与えられていた。ネズミ型万能兵器・ウフコックの力を借りて、答えを探し求めるバロットの闘いが、今、始まる!!


ここから読み取れる通り、小説版ではスクランブル‐09という法制度や科学技術そのものにも焦点が当っているのに対して、漫画版では答えを探し求めるバロットの闘いにより強く焦点が当たっている。
つまり小説版はサイバーパンクとして描くべき「科学技術によって変容する人や社会」というテーマも含めて描いているのに対して漫画版では主人公バロットの実存的問題、精神的成長が強くフォーカスされているのである。

だからと言って単に作者の力不足で原作の重要な点が端折られているということではなくて、小説と漫画という表現媒体の長所と短所をよく理解した上でのテーマの取捨選択だと感じた。
小説という媒体ならいくらでも書けるSF的な装置や社会情勢、法制度などの説明も、漫画にするとなると難しい。
SF的装置が現存しないものである以上、絵で装置の外見や実際の動作を描くだけでそれがどういう原理で動いているのか知ることはできない。
するとその原理について長々と文字で説明するより仕方なくなってしまう。
また社会情勢や法制度は目に見えないものである以上そもそも絵で描くことすら困難だ。
動きを重視する漫画においてこれらのことを長文によって説明すると躍動感を失ってしまうだろう。
そして実際のこの漫画版ではウフコックそのものや09法、司法手続きについての説明は必要最低限のものに止め置かれ、延々言葉のやり取りをする法廷でのシーンなどは大胆にカットされている。

逆に漫画だからこその表現上の利点もある。
絵で描くことでアクションシーンの躍動感や、登場人物の表情や仕草が生き生きと伝わるのである。
数回あるバロットとボイルドの戦闘シーンでは人工皮膚により周囲を感覚するバロットの超人的な運動性能が実感できたし、戦闘の際のバロットの怯えた表情と対照的なボイルドの無表情から戦闘経験の差がひしひしと伝わってきた。
カジノシーンでのくるくる移り変わるバロットの表情から彼女の不安、喜び、憧れ、敵意、達成が小説版よりも真に迫るものとして感じられた。
そういった漫画という媒体で得意とされる表現を多く行うためにあえてサイバーパンク的な社会と技術の関わりを描かず、精神面での変化を中心的に描いているのだろう。

以上の点からテーマ上の変奏はマルドゥック・スクランブルという物語を漫画という媒体で再表現する際に必要なものだったのだろうと思う。


それにしても、小説上で慣れ親しんだ登場人物が漫画という媒体で描かれ直すことでここまで実体としての感触を得られるのかと驚いた。
特に主人公であるバロットは、小説版より強く少女としてのリアリティを獲得しているのではないだろうか。
当然それは大今良時の人物描写の技量が卓越しているからだろうが、単に描写が上手いだけという以上のものを感じた。
漫画版筆者は相当に小説版を読み込み、そこで表現されているものを読み取り、その上で自分が漫画として描きなおすことの意義は何かを問うたに違いない。
その上で上記のようなテーマや描くシーンの取捨選択を行ってこの作品を作り上げたのだろう。
だから小説版を何度も読んだ自分が漫画版を読んでも違和感を感じず、さらには新しい小説版の解釈を発見できるような描写が可能だったのではないか。

このような漫画化は作品自体にとっても読者にとっても非常に幸せなものだ。
小説版の単なる焼き直しでない漫画版を読むことは非常に楽しいし、小説版に対する解釈もより豊かになる。
解釈が豊かになれば小説版に立ち戻っても新たな楽しみを得ることができる。
そして小説版を読み返すことで漫画版への新たな解釈も生まれる。
このような双方向のつながりが生まれる素晴らしい変奏が、人生で最も心を動かされた小説の一つに対して行われたことを心から嬉しく思う。