2017年に出た本の感想

2017年に読んだ本の感想をまとめておこうと思ったが、多いので2017年に出た本だけに絞って感想を書いておく。大体読んだ順に並べているつもりである。

宮澤伊織『裏世界ピクニック』

ネットロアを題材に女子大学生二人が異世界(裏世界)を探訪する短編連作。一年に2冊出たので2冊読んだ。ユーモラスでテンポよく話が進んでいくのだが、要所要所でネットロアの奥底から異質なものが顔を覗かせてきてぞっとさせられる。個人的に高校生の頃ネットロアをひたすら読み漁っていたので知っている話が多くて楽しい。しかしながらそれでも知らない話(例えば「須磨海岸にて」など)が登場することもあり、勉強になる(?)。

Daniel C. Dennett『From Bacteria to Bach and Back: The Evolution of Minds』

哲学者ダニエル・デネット最新の著作にして彼の思考の2017年バージョンアップデート。内容というか問題設定は例えば『解明される意識』『ダーウィンの危険な思想』と共通の部分が多いが、ギブソンの「アフォーダンス」やチューリングに着想を得たのだろう「デジタル化」、他にも「ポスト・インテリジェント・デザイン」など新しい思考ツールが展開されている。特に最後の章では機械学習というものを題材にダーウィニズムという「危険な思想」を工学的に用いている最近の情勢を分析していて、常に現代の先端を追い続ける姿勢に感嘆する。おそらくデネットの思想の入門書としても役立つだろうと思う。

ケンリュウ『母の記憶に』

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同じくケンリュウの『紙の動物園』が大変に良かったので短編集和訳第二作のこちらも読んだ。正直『紙の動物園』の方が良かったが、こちらにも良い短編はいくつかあった。例えば「訴訟師と猿の王」は(全然SFではないが)物語の展開に求心力があり、また見たこともない中国の情景が描かれるのにリアリティを感じさせる。他にも表題作「母の記憶に」はウラシマ効果を用いたSF短編だがとにかく短いのがすごい。

今井哲也アリスと蔵六 8』

今年アニメ化したこのシリーズは漫画も読んでいて、今年出たこの8巻は非常に良かった。色々あって主人公の紗名が一度死んで全く同じ身体を持った新しい紗名が作られる。思考実験の「スワンプマン」を想起してもらえばこの状況がわかりやすいだろう。その自分が偽物だという紗名に対して蔵六はそれでも同じように家族として受け入れてくれる。ここまではありがちといってしまってもいいような展開だが、この作品はそこで終わらない。一度死んでも同じ身体が再生されるなら同一人物だと認めてもらった紗名は蔵六の死んだ妻、クロエを生き返らせようと提案するのである。純粋に論理的に考えればこれは蔵六を喜ばせる行為であるように見える(おそらく紗名はそう思っている)。しかしそれに対する蔵六の反応は怒りであった。ここに物理主義に対する論理で割り切れない人間の感情的反応が端的に描かれているように思う。私は物理主義者であるため全く同じ身体を再現できるならそれは同一人物だと論理的には信じるが、感覚としてはまだその理論に追いついていない。実在する不滅の魂が死後天国へ行くとは信じないが、葬式を済ませて火葬した人間が同じ体でもう一度現れることは許せないというのが私たちの現実感覚なのだ。

乙野四方字『正解するマド』

野崎まどがシリーズ構成・脚本を務めるアニメ『正解するカド』のスピンオフ。なぜ野崎まどが書かないのか、

野崎まどが脚本を手がけたTVアニメ『正解するカド』のノベライズを依頼された作家は、何を書けばいいのか悩むあまり精神を病みつつあった。次第にアニメに登場するキャラクター・ヤハクィザシュニナの幻覚まで見え始め……

というあらすじからどうやったらスピンオフになりうるのか、様々な疑問はさておきアニメを見た人はとりあえず読んでほしい。内容に触れずに書くと非常によく練られたメタフィクション/言語SFで、1アニメのスピンオフとして埋もれてしまうに惜しい傑作である。メタフィクションとして明確に「読んでいる私」というところまで視点を引き戻される体験は何度しても楽しい。

九岡望,小川一水,野崎まど,酉島伝法,飛浩隆,弐瓶勉BLAME! THE ANTHOLOGY』

実は『BLAME!』は読んだことがないが、映画は見たのでいいだろうと思って購入した。実際のところこの作家陣が並んだアンソロジーを買わないわけにはいかないだろう。九岡望という人だけは知らなかったが、それを含めて全編素晴らしい出来だったと思う。まあ例によって酉島伝法の文章はよくわからないのだが(それでも今回はわかる方だったと思う)、他に例えば飛浩隆の「射線」という短編は『象られた力』や『グラン・ヴァカンス』に類する圧倒的なスケール感を『BLAME!』の枠組みで展開しており素晴らしい。九岡望「はぐれ者のブルー」の最後の一文には高速バスの中でため息をつかされた。小川一水のはなんかすごい性癖が出ている。そういえば来年は『天冥の標』の最終巻が出るらしいので楽しみだ。

オキシタケヒコ筺底のエルピス 5 -迷い子たちの一歩-』

友人に勧められたライトノベルシリーズの最新刊。なんと円城塔が帯に推薦文を書いている。なぜだろう。このシリーズはギリギリSFと言えなくもない異能力バトルものだが、主人公たちと敵対者が使う能力に厳格な法則が存在している。そのルールを遵守しながら完全に予想外の方向へと能力や話が展開していくところに作者の技量を感じる。と前半はそんな風にで感心しながら読んでいたのだが、4巻から時間遡行や並行世界を踏まえた上でキャラクターの心理が深く描かれるようになる。それが最高潮に達するのがこの5巻で、特にヒロインの生い立ちに関わる「空手」と物語の状況を綺麗にリンクさせた最後の一文には感嘆した。単なるライトノベルと思わず(そもそも円城塔が推薦している時点でそんなことを思わなかったが)読んでみてよかった。

大今良時不滅のあなたへ

マルドゥック・スクランブル(コミカライズ)』、『聲の形』の大今良時の最新作が2017年に5巻まで出た。主人公「フシ」(不死なので)が道中で出会った様々な物や動物、人をコピーしながら旅を続けていく、というのがストーリーの中核をなしている。コピーするといえば自己複製子、と考えてしまう癖があるが、思いの外そういう方向に話が進んでいる気がする。フシがコピーすることができるのは死者のみである。死者がコピーされるという形でなんらかの情報を残すということは、そのものずばり自己複製子の複製プロセスだと言える。この物語は(あくまで予想だが)自己複製子の複製という現代的な観点から『火の鳥』を再解釈する試みになるのではないかと思う。『火の鳥』は永遠の命に憧れる人間の愚かさを描くが、こちらは永遠なるものの側から有限の世界をどう記憶していくかという視点の対称性がある。複製される限りにおいて情報は不死であり、不滅の魂という信仰を持てない現代における一つの救済の形の提示とも読めると思っている。個人として永遠に生き続けることではなく、「私」という情報が複製されていくことによって永遠の魂は達成されるのである。

信原幸弘(編)『心の哲学: 新時代の心の科学をめぐる哲学の問い (ワードマップ)』

心の哲学の入門書はないだろうかと聞かれてこれを読んで見たが特に入門書という感じではなかった。哲学をある程度やっている人間が心の哲学の基本的な論争を追うために読むなら良いと思う。個人的に良かったのはデネットの「志向姿勢」とデイヴィッドソンの「解釈主義」のつながりが見えたところで、デイヴィッドソンの論文を読んで見たくなった。あとは「予測誤差最小化理論」の項などはベイズ推定を用いたりした感覚予測の理論を紹介していて面白い。デネットが『解明される意識』の冒頭あたりで幻覚や夢の構造としてこの理論を紹介していたのも思い出す。

野崎まど『バビロン3 ―終―』

野崎まどの『バビロン』シリーズ三作目。善と悪という哲学史の古くから問われてきたテーマを文庫本一冊である程度突き詰め、その上でエンターテイメントとして成立させる手法は鮮やかの一言だった。そして最後には最悪の女「曲世愛」がまたやってくる。多くの人間が人生をかけて出した答え、「善=続くこと」を一瞬で反転させる構成のカタルシスが素晴らしい。ちなみに倫理学的には「善」という規範(〜すべき)に関する概念を事実(この場合は続くこと)の概念に還元することはできないとされている。*1ある程度もっともらしいので物語としては問題ないだろうが、反例を出すこともできる。例えば食人という習慣はおそらく明確に悪だが「善=続くこと」と定義してしまうとその習慣が続くことも善だと言えてしまう。他にも理論的な問題として何かを続けるためには他の何かを止めなければならない状況は多くあり、その上でどれを続けるのが善いことなのかという比較判断の基準がさらに必要となってしまうという点が考えられる。こうしたことは物語としての良さとは全く無関係な妄言であり、特に作品を批判する意図はないことを付記しておく。

樋口恭介『構造素子』

今年のハヤカワSFコンテスト大賞受賞作。作中作の階層構造を「L-P/V基本参照モデル」として形式化してみたり、後半やたらデリダの引用があったりと難解な印象だが、円城塔『エピローグ』よりわかりやすいと思う。むしろそうしたSF的な部分よりも心に残ったのは死んだ父と主人公の間で「物語を書くこと」によって交わされる対話だった。それは子に対する愛情表現と父に対する追悼であり、作者はおそらく小説はそのようなものを物語でしか表現できないということを意識しながら書いている。そのことが言葉で何かを語ることの限界を常に念頭に置きながら書くという作者本人としては面倒な、しかしそれゆえに真摯な態度を感じさせる。

言葉は愛を定義することができない。
しかし、物語は愛を喚起することができる。(p349)

という短いパラグラフが非常によくその点を表しているだろう。さらに作者(そして登場人物)は言葉そのものの自律性にも自覚的である。

言葉は言葉を描き出そうとする意識や意思とは無関係に分岐していきます。この世界が終わり、わたしたちがいなくなったとしても、それは、言葉という生命体にとっては仮初の乗り物が一時的になくなることしか意味しません。(p318)

この辺りは大雑把にミーム論と言っていいようなものだが、参考文献表にそれらしい本は挙がっていない。おそらくデリダなどが同様のことを言っているのだと思う。その辺りを比較研究してみても面白いかもしれない。

平鳥コウ『JKハルは異世界で娼婦になった』

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読んだのは「小説家になろう」のバージョンだが、書籍版が出版されたので一応書いておく。話題になっていたようにジェンダー論の文脈で読むことも可能かもしれないが、個人的には(そうした話題に関心がないのもあって)そういう風には読まなかった。キャラクターの造形や性行為の取り扱いについても、ライトノベルとしてみれば特異かもしれないがそのほかの文芸ジャンルではそこまで変わったものとはみなされないだろう。ただし「異世界転生」という枠組みにこうした手触りの物語を落とし込んで来た点は評価できると思う。また主人公が所謂オタク的でない人物として描かれていて、その視点からライトノベル的な文脈に対してシニカルな視点が投げかけられるのも面白い。そうした話の導入から最終局面では一転してその文脈が畳み掛けるように展開するのもなかなかよくできていると思った。

舞城王太郎, 大暮維人バイオーグ・トリニティ

今年は舞城王太郎原作のバイオーグ・トリニティの11,12,13巻が出た。前半、というか10巻くらいまでは世界観と絵のかっこよさで読んでいた感じだったが、11巻あたりから伏線の回収と謎の解明が一気に始まって非常に面白い。特に11巻の後半で謎解きが始まるまさにそのシーンで、

この世界は密室でできてる。

というセリフが出てくるのには感動する。これは舞城王太郎の2002年(!)の本『世界は密室でできている。』のタイトルをセルフオマージュしているのだろう。そういえば今年は舞城王太郎原作で『龍の歯医者』というアニメが放送され、そちらも大変良かったがそれについては項を分けた方が良いだろう。2017年には舞城王太郎自身の著作は出なかったので来年に期待したい。

小川一水『アリスマ王の愛した魔物』

年末ギリギリに出た小川一水の短編集。収録作のうち「ゴールデンブレッド」は読んだことがあったがそれ以外は初めて読んだ。「ろーどそうるず」はバイクに搭載されたAIの限られた視点(視覚などがない)から人間関係を描く手法が鮮やか。自分は小説を書くのが上手いという自信がないとこういった短編は書けなさそうだが実際上手いので文句のつけようがない。「アリスマ王の愛した魔物」はファンタジー調の世界観だが計算機と計算そのものの話である。チューリングマシン(というかアルゴリズム全般)は基盤中立性を持っているから当然手動でも計算機を実装できる。そうしたSF的な面白さの上に計算されたもの(AI)の自我の創発というさらなるテーマが潜んでいるのが良い。そう考えると書き下ろしの「リグ・ライト」はこの二つの短編からのテーマの連続を感じさせなくもない。自我の芽生えたAIの「人権」というテーマが取り扱われるのは、「機械は自我を持つか?」という問いがもう古いということを示してはいないだろうか?機械はもちろん自我を持つし、それはなぜかというとタンパク質でできた機械である私たちが自我を持ち得たからである。その上で、AIの人権を人間社会においてどう位置付けるかというのが現代的な問いなのだ。この短編では人間は人間として生まれたから人権を持っているという自然権思想が社会通念として描かれているが、ダーウィニズムの登場以降「人間」の定義を厳密に線引きすることは不可能である。思想上の変化だけでなくこうしてAIの発展という実際上の変化を経験する社会において、こうした人権の概念を問い直す必要が迫っているのだ。

割内@タリサ『異世界迷宮の最深部を目指そう 7-3章.愛よりも命よりも』

https://ncode.syosetu.com/n0089bk/ncode.syosetu.com
最後に刊行されているわけではないネット小説だが、この作品の感想を書いておきたい。一応は順次書籍化している途中なのでこの章もいつか本となって世にでるだろう。この章で最も素晴らしいのが『342.いま六十層が産声で満たされる。貴方と二人、同じ日に生まれる為に。』(https://ncode.syosetu.com/n0089bk/362/)である。この作品は感情が最高潮に達したことを詩的な詠唱や階層名の宣言で表現するのだが、この節はまさにそれが冴え渡っている。ところでこの節から話はそれるが、この作品における魔法の「詠唱」が登場人物の人生そのものを読み込むことだと提示されたことで、メタフィクショナルな読み筋もあり得るように思えてきている。すなわち「このような人生(=文脈)があった」ということの提示がその魔法の使用者の来歴を「承認」させ、それによって強力な魔法であるを納得させることがその強さの本質なのである。こうしたことは『幻想再帰のアリュージョニスト』などの物語装置を読み込み過ぎだとも言えるだろうが、そういうのが好きなのだから仕方ない。

*1:例えば「is/ought gap」とか「ヒュームの法則」と呼んだりする。ヒュームの法則 - Wikipedia