Re:CREATORS全話感想/考察

はじめに

人生で見た中で最高のアニメ、『Re:CREATORS』を見返して何か書き残したくなったので一話ずつ感想や考察を書いていく。 ざっくり本作の概要を説明すると、原作に広江礼威、監督にあおきえい、音楽に澤野弘之、その他著名な製作陣が揃い踏みで2017年(3年前!)に放送されたシリーズアニメ作品。全22話でスッキリ完結。

recreators.tv

内容は様々な作中作のキャラクターたちがその創作者が存在する一段上のレイヤーの世界に現れて大騒ぎするメタフィクショナルな要素と、創作者たちが色々悩んだりする創作論的なエッセンスを盛り込んでぎりぎりエンターテイメント作品として成立させたようなアニメである。 ただ、こうした設置を扱う上で避けて通れない内容の複雑化もあり、かなり評価の分かれる作品であった。個人的には2010年代後半を象徴する作品と位置付けていて、本稿ではその辺りも伝えられると嬉しい。 またネタバレに配慮しないため、これから視聴する予定の方は注意してほしい。

各話感想/考察

#01 素晴らしき航海

"I will remember everything that happened to me."

アルタイルの作者=創造主であるシマザキセツナが自殺するシーンから物語が始まる。 自分を拒絶した世界に絶望したセツナから生み出されたアルタイルはその絶望を受け継ぎ、「享楽の神々共の恐るべき世界」「胡乱な創造主のひしめき合うおぞましい別天地」を崩壊させるべく行動を始める。

そんなアルタイルに呼び出されてセツナの生前の友人、水篠颯太の前に今期アニメ放送中(劇中)のライトノベルからセレジアが現れる。 セレジアとアルタイルのドタバタ戦闘(劇伴:澤野弘之)で大変盛り上がったのち、さらなるキャラクターが登場、そして今後も颯太が今後も巻き込まれていく予感で締めるとてもよくまとまった1話の構成だと思う。

あおきえい監督作品のパターンとして、毎話のサブタイトルとともに各話のセリフの一つが英訳されて引用される。 1話のそれは冒頭の颯太のモノローグから「記憶しておこうと思う。僕の身に起きた出来事を。」

#02 ダイナマイトとクールガイ

"...... that wasn't funny."

Aパートはメテオラによって設定と現時点で推定されるアルタイルの行動の意図が語られる。アルタイルによって様々な創作物のキャラクター、被造物たちが颯太のいる世界(=Re:CREATORSの世界)に呼び寄せられている。アルタイルはそうした作中作のキャラクターが創作者に影響を与えて、彼らが元いた世界を改変することを呼びかけている。

アルタイルがこうして作中作のキャラクターを呼び寄せることのできる理由は作中を通してあまり明示されていない。彼女は二次創作物という出自を持ち、さらに三次、四次創作と集合知的にそのキャラクターが作られたために確固とした土台となる物語文脈を持っていない。それゆえ例えば様々な作品世界とコラボする障壁が少ないということが考えられるだろうか。ざっくりと「そういう設定」が創作のネットワークの中で付け加えられたと解釈することもできる(だたしその設定を受け入れる素地があるのは前述の理由からだろう)。

Bパートはセレジアの原作者や、また新たに魔法少女のまみかが登場して再びドンパチが始まる。面白いのがまみかの世界では人に怪我をさせたり物を破壊したりすることのなかった彼女の能力が、創作者たちの世界では破壊的になってしまうところだ。そうした違いが彼女に「特定の物語文脈に組み込まれていたこと」の認識を強く促し、被造物たちの中で最初に自分のあり方を問い直し始める。

#03 平凡にして非凡なる日常

"Don't worry about what others said. Just be yourself."

メテオラたち一行はセレジアの原作者と、アルタイルが言っていたように創作者に働きかけて作品に設定を付け加えることで、その作品世界が改変可能かを検証する。作品世界が変化すれば現界している被造物の能力も変更可能で、つまりパワーアップできるというのが仮説である。しかしながら、小説を書いてイラストをつけただけでは被造物の能力は改変されない。作品世界を構成するために必要なのは、創作物に加えてそれが多くの人に承認されることなのである。

この「承認力」がこの作品全体を通して重要な要素となる。いかに優れた物語でも、それが多くの人に承認されなければ現実世界への影響を持ち得ない。物語は創作者が作り出し受けてがそれを認識し承認する共同作業によって作り出されるというのが本作での創作観である。

この回で引用されるセリフは、プロのイラストレーターの仕事を間近で見てビビる颯太へセレジアが言う「何を言われても気にしないでいい。君の歩幅でやればいいの」。『Re:CREATORS』はセツナを死に追いやってしまったという自責から創作できなくなってしまった彼が、再び何かを作り出すまでの物語でもある。

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#04 そのときは彼によろしく

"If so, I want to protect what he loved."

メテオラは自分の出身作であるゲームの製作者に会いに行くが、既に亡くなっていた。自分の世界が真摯な思いで作られたのかを知りたい彼女は、それならと一晩かけて自分が登場するゲームをクリアする。そして彼女は、創造主の作品やそのプレイヤーへの愛情を感じ取り、自分に与えられた作品内での役割を受け入れる。また創造主が愛したそれらを含むこの現実世界を守ることを決意する。「ならば、私は彼の愛した物を守りたい」

またメテオラによって、様々な被造物が現実世界で活動することによって世界が崩壊してしまう可能性が指摘される。世界には辻褄を合わせる「修正力」があり、作品世界のキャラクターが現実に現れるといった普通考えられない自体を修正しようとするが、その自体があまりに複雑化すると世界の方が耐えられないというのだ。

この修正力というものを、超常的な力だと考える必要はない。ここでいう世界はあくまで『Re:CREATORS』という作品の世界である。その作品に普通あり得ないような設定をなんの説明もなく詰め込み続けて物語を進行させて行くとどうなるだろうか。私たち受け手はそんな物語は成り立っていないと感じ、それを物語として承認することはないだろう。そして承認されなければ、この作品は作品として成立しない。作品世界が消えてしまう。つまりそれがメテオラのいう世界の「大崩壊」なのである。

創造主が作り出し、受け手が承認する物語の構造は『Re:CREATORS』自体にも当てはまる。それゆえにこの「修正力」は私たち受け手が物語に「合理的な筋書き」を期待することだと言える。その期待に沿わない物語は承認されず、物語として成立しない。この合理的な筋書きへの期待を私たちは本能的に持っている。もちろん合理的な筋書きを持たない物語も存在するが、それは「非合理的」なものとして作り出されたことが承認されなければ成立しない。『Re:CREATORS』のようなアニメ作品がそうしたものとして製作されているという想定は持ち得ず、それゆえにこの物語は合理的であることを要請されている。

#05 どこよりも冷たいこの水の底

"So, why don't we have ourselves a guys' night out?"

さらに増えた被造物と創造主一行が話し合っていると自衛隊が突入してくるシーンがかなりお気に入りの回。ここまでの話で公的機関の関与が全くなかったので、当事者たちだけで完結するタイプの物語かと思わせておいて一気に関わってくる力学の規模が大きくなる。考えてみれば1話ではメテオラがどこか(自衛隊)から拝借してきたミサイルを撃ったりしている訳で、政府が対処しないわけがない事態ではある。

これほどややこしいメタ設定に政府の介入まで発生すると話が複雑になりすぎるのではないかと心配になるが、この作品の日本国政府の権力はほぼ菊地原という官僚一人に擬人化されている。そのあたりの構成の上手さは流石。

#06 いのち短し恋せよ乙女

"You are the one who knows where justice lies."

伝奇もの小説から嘘を否定させることで本当にする能力を持った築城院真鍳が登場する。これまで登場した被造物たちはある程度以上の道徳をわきまえていたが、彼女はそんなこともなく野放しにすると大変なのでメテオラ陣営が、シンプルに仲間を増やすためアルタイル陣営の被造物たちがそれぞれ大急ぎで接触を試みる。

真鍳に出会う前、まみかはこれから出会う相手が目的を違えども「いい人」であることを願う。引用セリフはそれに対してアリステリアの「其処元は正しさの在処を知っている」。単に人の善性を盲目的に信じるだけではないまみかのスタンスは、彼女が元の設定より複雑な自我を獲得しつつあることを示唆しているだろう。

その一方でアリステリアは「自身の世界を救済する」という目的に固執するあまり、メテオラと話し合うことができない。この辺りは設定や性格もあるが、あまりに重いものを背負った彼女の余裕のなさの表れであると思う。ところでおそらくアリステリアは単騎の戦闘能力なら作中作高レベルにあるが、それが自身の精神状態によって正しく発揮できないところに筋書きの妙がある。

まみかは自身の能力が他者を傷つける可能性を恐れてそれを使えないでいたが、今回の最後にはまみかがついにその力で戦いを止めることを決意する。元いた魔法少女ものアニメで当たり前に使っていたものを、悩んだ末に「自分」の意志で使う。それは彼女がこの世界において自分の信じる正義を改めて確立したからであり、また書き割られた役割を離れた「自分」の確立でもある。

#07 世界の小さな終末

"I don't want to make a mistake for the sake of the people who are in my story."

まみかは少し前に気づいていた颯太から聞き出し、メテオラたちはネットサーフィンの末にアルタイルの正体にたどり着く。彼女はソーシャルゲームのキャラクターをアレンジした二次創作キャラクターであり、ニコニコ動画的な動画投稿サイトを中心にアマチュアの創作者たちの間で発展していって生み出されていた。

まみかは自分が信じられるものを自分で見定めるため、敵側にいる颯太に単身話を聞きにきている。それは自分がこの世界においても、元いた世界の人々に認められた「魔法少女」として正しい行動を取りたいという思いからである。「私は間違いたくないの。私の物語の人達のために」

一方どちらの陣営にも属さず単身行動する真鍳は創造主だけの力では自身の設定を改変できないと知るや否やサクッと創造主を殺害してしまう。仮に彼女の立場にあったとして、自分の運命を好きに書き換えられる存在が手の届く場所にいたらとりあえず活動できなくしたくなるかもしれない(殺してしまうのはやりすぎだが)。

#08 わたしにできるすべてのこと

"I CHOSE this way of life."

颯太からアルタイルの出自を聞いたまみかは彼女の真意を問いただす。アルタイルが復讐を企てていることを確認した上で、まみかはそれでも彼女を助けたいという。アルタイルはそのスタンスを物語によって割り当てられた「偽善者」の仮面を被り続けていると非難する。しかしながらそれは、まみかが自分の意志で改めて選んだ生き方なのだ。「私はこの生き方を選んだんだよ」

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それに対してアルタイルは自身もまみかと同じように、世界への復讐を自らの意志で決めたという。

余もそうだ。この世にうち捨てられた彼女、そのような役割に彼女を振った無慈悲な物語をこそ余は決して許さない。筋書きごときに忠義を尽くしてるのではない。余が決めた事だ。

この「そのような役割に彼女を振った無慈悲な物語をこそ余は決して許さない」というセリフから、アルタイルが目指す復讐がこの『Re:CREATORS』という物語自体であることがわかるだろう。セツナを死に追いやったのは、本作の世界の人々であるのと同時に本作の制作者たちが「そのような役割に彼女を振った」からだ。

アルタイルは『Re:CREATORS』の世界に様々な作中作のキャラクターを登場させ、メタ的で複雑な状況を作り出すことでこの物語自体の崩壊を狙っている。その引き金となるのは被造物たちの行動によって、私たち視聴者が『Re:CREATORS』という物語が合理的に成り立っていないと感じること、つまり「修正力」である。そしてこの『Re:CREATORS』という物語の崩壊は、様々な準備や労力を以ってこの物語を製作している人々への彼女ができる最大の復讐だと言える。

アルタイルと決別したまみかはこれまで抑えてきた自身の能力を最大出力で放ち、この回は幕引きとなる。アルタイルの攻撃によってまみかにサーベルが突き刺さるシーンの衝撃や、まみか本来の能力の威力も合わさって本作屈指の引きの演出が素晴らしい回。

#09 花咲く乙女よ穴を掘れ

"The world requires choice and resolution."

まみかの死に際に立ち会った真鍳は、彼女の遺言の順序を並び替えてアリステリアに全く逆の事態を誤認させてしまう。まみかを殺したのはメテオラであり、彼女たち一行は世界の崩壊を狙っているのだと。というわけでアリステリアはまみかの仇を取るためメテオラたちと敵対することになる。

物語=フィクションと「嘘」は同じカテゴリにある。そんな物語の中で真鍳が嘘をつくことそれ自体が「嘘の嘘」と言える。「嘘の嘘」が実現するというのは、フィクションだから(ある程度)何でもあり得るということの言い換えなのかもしれない。物語には合理性が求められる一方で、現実とは違った世界であることも可能である。この合理性は、あくまで私たちの世界での合理性ではなく「フィクションの世界」での合理性だからだ。だからその合理性を納得させることさえできてしまえば、本来あり得ないことでも起こすことができる。

真鍳の能力はその合理性の承認という過程をスキップしてしまうものなのだ。もちろんその裏側にはきちんとした承認のシステムがある。彼女の装いや言動、出自から私たちは彼女に過去にあった他作品(西尾維新とか)の文脈を重ねて見ている。その文脈のために私たちはこういうキャラクターはこういう能力を使うよね、と想定し、実際に使われても納得できる。こうした文脈が彼女の能力を成り立たせているのである。

颯太からセツナのことを明かされたメテオラは「世界は選択と覚悟を要求する」、目をそらしてはいけないと諭す。現実世界なら別に目をそらして逃避し続けても誰も文句を言わないが、残念ながら彼らは物語世界の住人である。だから「世界」は、「私たち」は彼に選択と覚悟を要求してしまう。過去を直視し、それを乗り越える筋書きが「物語」の常だからだ。

#10 動くな、死ね、甦れ!

"We know exactly how you think and how you're fighting !"

腕力で勝るアリステリアに頭脳派のメテオラはやはり敵わない、といったところで颯太がアリステリアの前に立ちはだかる。颯太は彼女の物語の話を始める。彼女の物語を読み、彼女のあり方を知っている颯太がメテオラと敵対するのは間違っていると彼は考える。「あなたがどう思ってどう戦っているかを、僕らはちゃんと知っている!」アリステリアの悲惨な物語を読んで彼らは彼女の戦いに背中を押され、その正しさに憧れていると言う。しかしながらアリステリアは、颯太たちにとっての自分の物語は、ただの「物語」にすぎないではないかと指摘する。それに対して颯太はこう言い切ってしまう。

お話なんて言うなら僕の目の前で起きなかった全てが僕にとってはただのお話だ!現実だの物語だのそんなの関係ない!

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このセリフはこの物語が「現実」と「物語」をどう捉えているかを表しているだろう。物語に感動することと、現実のどこか遠くで起こった出来事に感動することの間に認識論的な違いはない。その違いは、多くの人が現実だと承認したかどうかでしかないのである。

その後、久しぶりに登場したセレジアがアリステリアの槍に貫かれてしまう。セレジアの創造主、松原は3話で試した設定改変によるパワーアップをSNSで承認を得ることで実現する策に出る。その際の彼の自身の創作したキャラクターに対する思いがとても良い。

俺がお前の作者な限りお前にそんな間抜けな死に方絶対させねぇぞ!絶対にだ!

プロの作家として自身が作り出したものへの矜持と信頼が、彼の自分の仕事への思い入れを感じさせる。

#11 軒下のモンスター

"We cannot decide where we go but you can."

Aパートはセツナとの過去を打ち明けられなかったことを悩む颯太と鹿屋の会話。鹿屋は役割や目的を決められている自分たち物語のキャラクターはある意味で楽だと言う。その一方で颯太たちこの世界の住人は自分たちで自分の進む道を決めなくてはならない。「君らは僕らと違って自分のいる場所は自分で決められるってこと。」そしてそれは困難ではあるが、「世界を救う以外の能はない」自分たちにに比べて素晴らしいことだと言う。

この会話が颯太が自分の過去に向き合い再び創作を始めるきっかけになる。またそれと合わせて、曇天を突き抜けて上空に出てそれが晴れる演出が良い。

Bパートではセツナと颯太の過去が語られる。才能を開花させていくセツナに対して彼は自分が置いていかれるような感覚を持っていた。そんなセツナがインターネットで炎上するのを見て、彼はセツナがこれ以上自分を置いてくことがなくなると安心してしまう。そして助けを求めてきた彼女を突き放したのちに、彼女が自殺してしまったことに罪の意識を感じていた。そんな彼が自身と彼女の確執の原因でもあった「創作」のキャラクターたちと関わることでその過去に向き合うことができるようになる。

#12 エンドロールには早すぎる

"Be desperate and draw something fascinating."

アルタイルはインターネット上での誹謗中傷で自身が世界に拒絶されたと感じたセツナの遺作として生み出された。そんな彼女は自身の創造主の死後も二次創作という形で設定に厚みを増し、多くの人の承認を得てキャラクターとして成立するに至った。これまでのアルタイルはそういった二次創作で付与された能力をフルに使うことはできなかった。それはまだ私たち視聴者にこの設定が明かされておらず、あまりに多彩な能力を合理的だと感じられなかったからだ。しかし二次創作の集合体であるとわかった今、彼女がどんな能力を持っていてもある程度合理的だと感じるようになるだろう。それゆえに、こうしてアルタイルの謎を解くことは彼女の能力を強化することにも繋がってしまう。

メテオラたちはアルタイルを倒すために、今現界しているキャラクターがクロスオーバーして世界の危機に立ち向かう話を作り、それをイベントという形で多くの人に承認させる作戦を考える。その中でメテオラたちの能力を高めてアルタイルを上回ることができればなんとか世界は崩壊を免れる。それはある意味で、アルタイルを生み出した二次創作のネットワークと松原たちプロの創作者たちの作品のどちらがより強い承認を得られるかという戦いでもある。

颯太との会話で人々がどんな思いで自身の物語を見ているのかを知ったアリステリアは、改めて自身の創造主の高良田(監禁中)に自分の世界への思いを問い直す。もちろん、誰かを力づけたり勇気を与えたりするため以外に悲惨な物語を書いているわけがないと高良田は答える。それに納得したアリステリアは彼を解放して「うんと面白いものを死ぬ気で描け」と言う。ここに至ってようやく彼女は自身の世界が悲惨な物語であることに意味を見出せたのだろう。

#13 いつものより道もどり道

"An unpredictable story that no one knows where it's leading to."

登場人物がこれまでの物語を好き勝手に改変しながら語り直すという前代未聞の総集編。改変する以外にも語り手であるメテオラの偏見と感想が多分に含まれていて面白い。

単に変わった総集編であると同時に、メテオラが最終的にこの世界に残って『Re:CREATORS』という物語を創作することの伏線でもある。だからこそ創造主でもある彼女が自由にこの物語を語り直すことができる。 つまりこの『Re:CREATORS』という物語は出来事をメテオラが再構成した作中作でもあるのだ。

#14 ぼくらが旅に出る理由

"I feel painful and so useless that I want to cry but it's fun nevertheless."

総集編を挟んで後半に突入。エンディングテーマの『ルビコン』の曲と映像がとても良い。実写の制作現場と作品のキャラクターが共存する映像は、やはり本作が自身のメタ的構造にこの作品自体も含まれていることに自覚的だということが現れているだろう。

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この回はこれまでのドンパチとは打って変わって創作者たちの話になる。会社に所属する人と個人で製作する人、筆の早い人と遅い人が入り混じってプロジェクトを進めるわけで、様々な軋轢を生みつつもなんとか擦り合わせて形にしていかなければならない。またそれぞれの作品をクロスオーバーするにしても、各々曲げられない設定があってぶつかり合う。なぜならその曲げられないものにはクリエイターとしての矜持がかかっているからだ。

セレジアのイラストレーターのまりねが、ブリッツの登場する漫画を描いている駿河があんまり筆が速くて上手いので凹んでしまうシーンがある。彼女を追いかけてきた颯太との会話で、自分に自信がなかったとしても自分自身を認めるために描き続けるしかないと語る。そしてそれは「楽しいこと」なのだとも。「辛くて不甲斐なくて泣きたくて…でもやっぱり楽しい事なんです。」このシーンは颯太が再び創作というものに向き合うための、大きな契機の一つだろう。

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ところでこの回のサブタイトル「ぼくらが旅に出る理由」が小沢健二の曲名であることに気づいてようやく、各回のサブタイトルが映画や音楽といった創作物から引用されているのがわかった。このサブタイトルの引用は全22話の21話まで続く。

#15 さまよいの果て波は寄せる

"This is perfect! She couldn't have been any more perfect!"

アリステリアは真鍳を見つけ出し、アルタイルを止めるために状況を「面白くする」ことを要請する。それによって真鍳が動き出し、アルタイルとの決戦のための颯太の最後の仕込みに関わることになる。主人公である颯太によって変わったアリステリアの行動が間接的にではあるが物語の核心部分に関わることになり、筋書きの上手さが感じられる。

ブリッツの作品での彼と娘の間に起こったことの顛末が語られ、彼がアルタイルの側につく理由が明らかになる。最終決戦に臨むアルタイルは彼を一度自由にし、創造主に会いにいくことを勧める。ブリッツと創造主の駿河の出会いは17話で描かれることになる。

#16 すばらしい日々

"This is the actual beginning, isn't it?"

時系列的にはアルタイルとの決戦のためのフェスの準備が終わり、ひとまずの壮行会が行われる大江戸温泉物語へとセレジアと颯太が向かう車中からこの回は始まる。覚悟を決めて創造主たちに加わった颯太は「世界とかじゃなく僕が決めた事の為に」、「大失敗するかもしれない。愚にもつかないものになるかもしれない。頑張ったのに何の意味もないまま終わるかもしれない」が創作に立ち向かうことをセレジアに語る。それに対してのセレジアの「楽しんで荒野を歩みなさい」というセリフが14話でまりねが語ったことにも通じていて、創造主と被造物のつながりを感じさせる。そしてここが颯太にとっての創作者として道の、またアルタイルと対する創造主たちの戦いの始まりである。「ここからが本当の始まりなんですよね。」

そしてついにアルタイルを倒すための承認力を稼ぐイベント、「エリミネーション・チャンバー・フェス」が始まる。声優がそのまま登場したりしてメタ構造が一段とややこしくなって面白い。

#17 世界の屋根を撃つ雨のリズム

"I mean I'm the CREATOR."

アルタイルとの戦いをアニメーションとして観客たちに承認させることで、それを現実の出来事ではないことにして世界の修正力が働くのを防ぐ仕組みになっている。もう少し深く考えると、世界の修正力の行使者は作中の観客ではなく私たちこの作品自体の視聴者なので「作中の観客が現実ではないと認識したこと」を私たちが承認することでこの仕掛けが成り立っている。

ブリッツの創造主である駿河は、彼の思考を読んでアルタイルを裏切らせるための策を打っていた。「うちはあんたの神様や。」こっそりと彼の娘を生き返らせて現界させていたのだ。それはその方が物語が「面白くなるから」だと彼女はいう。「面白さ」のためなら命の価値を弄ぶことすら厭わない創作者としてのスタンスに凄みがある。一方で創作された側からはそれは狂気にしか見えない。「君らはある種の狂人だ」 この仕掛けがブリッツの世界とメテオラの世界がクロスオーバーしたから成り立ったというのも面白い。

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またこの辺りは颯太が最後にセツナを現界させてしまうことの伏線にもなっている。同じ構造をあらかじめ使っておくことで、「死者を創作する」構造を私たちが承認しやすくするためかもしれない。

#18 すべて不完全な僕たちは

"As long as we're alive, we have to enjoy our lives to the fullest."

アリステリアに「面白くする」ことを依頼された真鍳が、「折角生きてるなら力の限りエンジョイしなくちゃなのだよ」と颯太の前に現れる。創作に向き合うことを決意した颯太に、真鍳は道徳を踏みこえる覚悟を問いかける。「悪いとかいいとかどうでもいいんだ…それがもし叶うなら他の事なんて全部どうでもいい!」彼もまた、プロの創作者たちと関わる中で何かを作り出して世に問うことへの勇気と、創作の抱える業を受け入れる覚悟を得たのだろう。

真鍳は承認力の存在をあえて否定して、それを颯太に否定させることで承認力なしで颯太の仕掛け(=セツナの現界)が動き出すようにしてしまう。一見すると真鍳が承認力のシステムを曲げてしまっているようだが、実はそうでもない。依然として「承認力は絶対の鍵」のままである。なぜなら、「真鍳によって承認力のシステムが無効化された」と私たちが承認することでこの仕組みが成立するからだ。

#19 やさしさに包まれたなら

"The story continues, as long as there is someone out there, who believes in my existence."

アリステリアはまみかの仇であるアルタイルと相対する。彼女は自身の物語の主人公であることと、「まみかの信じるアリステリアである」ことの二つを両立させるため、アルタイルに挑むのである。しかし、彼女の力はアルタイルに及ばない。アルタイルの言う通り、彼女はこの物語(=Re:CREATORS)においては脇役でしかなかったからだ。それでもアリステリアは自分を信じる者たち(読者/まみか)を信じて、物語から退場する。「私を信じた者がいる限り、物語は終わらない!」

セレジアの前には自身の物語の主人公、カロンが立ちはだかる。彼は自身の世界を自力で救うことを諦め、アルタイルの言う創造主による改変によってそれをなそうとする。主人公であることを恐れ、逃避しようとするカロンと、自身の物語を受け入れて自分の意志で選択して進んでいこうとするセレジアが対比的に描かれる。セレジアは敬愛するカロンと戦うことを選べるまでに自身の意志を獲得したのである。

カロンと相打ちに持ち込もうとするセレジアに、松原は「逃げろセレジア!もういい!ヒロインも物語もやめちまえ!」と叫ぶ。彼がセレジアを、被造物ではなく一人の人間であることを認めていること、そしてそうあってほしいという願いが現れたとても良いシーン。

#20 残響が消えるその前に

"Somebody receives the power of creation, and the spirit is redeveloped from their passion."

創造主たちの隠し玉、アルタイルと同じ能力を持ったシリウスが現れる。そのための伏線を貼った、と登場人物に言わせることで描かれていない伏線が張られたことになる発想の転換が面白い。(実際その伏線は作中作のものでこの作品自体のものではないけれども。)

アルタイルを取り込もうとしたシリウスを逆に乗っ取ったアルタイルが、自身の存在の成り立ちを語る。彼女は定まった物語を持たず、二次創作のネットワークの中で生み出された。「創造の力は誰かに受け取られ、感じ、思いを馳せその思いを糧に再び生み出される。」そこに表現されるのはむき出しの欲望であり、シリウスを生み出したような創造主たちの策謀はそれに及ばないと語る。ある意味で自身の情熱のみで創作するアマチュアが、お金を稼ぐことを考える必要のあるプロの作品を凌駕する(こともある)現代の創作事情を表現しているとも言える。

#21 世界は二人のために

"I love you too."

颯太の仕掛けた伏線を、真鍳が「嘘の嘘」とすることで実現する。現れたのはアルタイルを最初に生み出した颯太の友人であるシマザキセツナと、彼女が自殺した場所である駅のホームだった。ここでこの作品は明確な一線を越える。それは「被造物」と「現実世界の人間」の境である。現実世界の人間であるはずのセツナを、物語のキャラクターと同様の方法で存在たらしめたからだ。このRe:CREATORSという物語の登場人物と、その作中作のキャラクターが同様に被造物であることが自覚的に描かれている。12話で颯太が

お話なんて言うなら僕の目の前で起きなかった全てが僕にとってはただのお話だ!現実だの物語だのそんなの関係ない!

と言っていたことがここにつながる。目の前で起きなかったこと(セツナについての出来事)と物語は等価であり、共に承認力という鍵次第で現実になりうるのである。

もちろん物語において死人がよみがえることは基本的にはありえない。しかし、物語は読者の承認を得られる限りで「嘘の嘘」を許容することができる。Re:CREATORSはこの承認力というシステム、ブリッツの娘を蘇らせるという伏線、そして真鍳の「嘘の嘘」を現実にする能力という変化球を交えてこれを実現する準備を行ってきていた。そして現れたセツナの振る舞いが「本物らしい」ということを私たちに承認させるため、生前のセツナと颯太の交流を描いてきていたのである。

セツナはアルタイルに自身の呪いを込めてしまったと言う。それに対してアルタイルは、自分の意志でセツナを排斥した世界を憎んだと言う。アルタイルは弱いもののために怒り、弱いものの代わりに憎む、そんなキャラクターだからだ。

あなたは悪なのかもしれない。世界を滅ぼす悪者。でもあなたは同時に弱き者の王様。弱き者の騎士。そうやってあなたを見る人がたくさんいたのです。

だからこそ彼女は多くの弱者の心に寄り添い、そんな人々が創作のネットワークを作ってアルタイルという存在を作り出していった。彼女の力は弱いものの願いを叶えるためのものだったのである。そしてそれこそが創造主という絶対的強者によって悲劇へと導かれる被造物たちを代表してこの物語そのものへと反逆するに至った理由でもある。

自身を含めて、弱いものに寄り添ってくれるアルタイルの姿を確認して、自身が作り出すことのできた者への愛を語ってセツナは再び消えていこうとする。

私もあなたが大好きです。

しかし、アルタイルはそれを拒絶する。アルタイル自身がシマザキセツナという物語を創造することで、彼女を世界に留めようというのだ。そしてここまでで描かれた彼女の能力の万能性が、「無から有を構成」して世界を作り出すことが可能であるとすら観客/私たちに承認させる。アルタイルが創造した世界でセツナは生き、その中でアルタイルの物語を描くことで生まれる無限の円環の中で彼女たちは生き続ける。

セツナは創作は孤独なことだと言う。しかし作り出した物語のキャラクターが創作者と同じように存在しているとすれば、その孤独は乗り越えられる。Re:CREATORSが描くメタ構造は孤独な創作者たちへのメッセージでもあるのだろう。被造物の実存は創造主にとっての罪であると同時に、救いでもあるのだ。

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#22 Re:CREATORS

戦いを終えた被造物たちは自身の世界へと帰っていく。メテオラだけは帰還できず、普通の人間として現実世界で生きていくことになる。そんな彼女は出会ってきた創作者たちと同じように、物語を綴ることにする。メテオラがこれまでの出来事を物語にしたものに、颯太は「Re:CREATORS」というタイトルを提案する。つまり、この作品自体がメテオラによる作中作だとも解釈できる終わり方になっている。(14話の総集編は確実にそうだろう)

最終回のサブタイトルは通例の引用ではなくオリジナルの「Re:CREATORS」となっている。これはこの作品を作り上げた人々が、過去様々な創作物に一つ新しいものを付け加えたのだという自負の現れだと思う。

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作中の創作者たちも、そしてこの作品を作った人々もこれからも創作を続けていくだろう。それは「そうやって生まれた沢山の物語が時に誰かの心に届きそしてその人の日常を違うものに変えてくれること」知っているからだ。そしてこの作品は私の心に届き、創作とキャラクターというもののあり方についての見方を変えてくれている。そのことこうして書き残すことで、創作する誰かの力となれることを願う。

参考

Re:CREATORS : あにこ便

水篠颯太 | CHARACTER | Re:CREATORS(レクリエイターズ)

Re:CREATORS - Wikipedia

画像、セリフなど全て© 2017 広江礼威小学館アニプレックス