大今良時/山田尚子『聲の形』

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大今良時の『聲の形』が山田尚子監督、京都アニメーションによって映画化された。

本記事では原作、映画双方の内容を視野に入れながら作品のテーマを探っていく。

どちらについても内容に踏み込んで書くのでまだ読んでいない、見ていない方は注意してほしい。

1. 過去はすべてを決めるのか?

この作品でまず描かれるのは小学生時代の「いじめ」である。

この出来事についての将也の罪悪感がまず物語の動因となっていく。

さらに硝子の側にも「自分が原因で今度は将也がいじめられることになった」という罪悪感があることが明らかとなる。

この出来事は作中では「過去」であり、その過去は現在を束縛しているように見える。

将也はこの事件をきっかけに周囲の声に対して自ら耳を閉ざしてしまうし、硝子が花火の夜にベランダから飛び降りたのもこのことが(間接的にせよ)原因だと言えるだろう。

さて、過去というものは現在に対して一体どのような関係を持っているのだろうか。

例えば決定論という考え方がある*1

これは原因と結果の関係が必然的であるから、ある過去から生まれる未来は一つに決まっているという思想だ。

これについては様々な主張があるが、ここで取り上げたいのは決定論が生じる原因は人間の思考方法だという意見である*2

その人間の思考方法とは複数の出来事を「原因」と「結果」という形で結びつける能力のことだ。

これは別にカントの純粋悟性概念などを引き合いに出すまでもなく、日常的な自分の思考を振り返ってみればおのずと納得できることだろうと思う。

ところで、ある結果が生まれた原因を本当に厳密に知るためには人間の脳の処理能力では全然足りない(それどころか有限なシステムならどんなものでも不可能である)。

ゆえに人間はとりあえず自分が見渡せる範囲で出来事の原因と結果を見出して納得するしかない。

だから、過去と現在、未来の因果関係が語られるとき、それはその人の思考が一つの解釈として作り出した「物語」なのだ。

さて、本論に戻ると、小学生時代の「いじめ」というのが「原因」、そしてそれに対する罰として将也たちが考えるもの(贖罪や自殺)が「結果」に対応するだろう。

しかしその罰というのは実は彼らが勝手に作り出した「物語」の内部で存在するものでしかない。

誰かがそれを望んでいるわけでも、客観的に必然であるわけでもないのだ。

しかしながら彼らはお互いに対する罪の意識から誰も望んでいない「自殺」という選択肢を一度は選ぶことになる。

ここに自身の「物語」にとらわれること、言い換えればコミュニケーションの不全が存在している。

2. 「物語」とコミュニケーション不全

聲の形 公式ファンブック』に掲載されている著者インタビューに以下のような文章がある*3

植野のがんばりが竹内先生やクラスメイトに認められていたら、彼女はそこまでストレスを抱えなかったと思います。が、そのはけ口をみんなにも迷惑をかけていた硝子に向けることによって「自分は悪くない」というストーリを完成させ、植野は言い訳をする。だから植野は「硝子に悪いことをした」と認めてしまうと、自分のなかにあるストーリーが壊れてしまうんです。(p182)

この例では植野が取り上げられているが、この「ストーリー(物語)」にとらわれるという現象はすべての登場人物に起こる。

なぜならそれが人間が必然的に備えている思考の方法であるからだ。

そして、自分で作り上げた「物語」にとらわれることはコミュニケーションの不全を引き起こす。

誰かの話を聞いているつもりでも、自分の解釈で「物語」を作って納得してしまうことがほとんどだと言ってもいいだろう。

その解釈に固執すればするほど周囲の人間が作る「物語」との不整合が起こり、さらなる孤独へと追いやられていく。

この作品においてそれは最初から周りの声を「聞くことができない」硝子と周りの声を「聞こうとしなくなった」将也の対比において焦点を当てられることとなる。

例えば原作第5話で将也が高校のクラスメイトが話している内容を自分への悪口だと想像している場面がある。

ここで解釈される他人の言葉は実際に言われているものではなく将也が勝手に解釈した(将也の「物語」内部の)ものであり、ここに将也のコミュニケーション不全の状態が象徴されている。

このコミュニケーション不全は、特に映画版でこの作品の主要テーマとして描かれている。

映画版のラストシーンは原作とは違い将也が周りの人間の顔に貼り付けた「×印」が取り払われるシーンとなっているが、それはこのテーマにより焦点を当てた構成とするためだろう。

ここにおいて将也はついに周囲の声を聞くことへと踏み出し、自分の「物語」の外側にある豊かさに気づく。

自身の作る「物語」の呪縛から逃れることは簡単ではないが、それでもそこから一歩踏み出すというのがこの作品の一つの結論であるだろう。

余談だがこのシーンのBGM(サウンドトラック一枚目39曲目"lit (var)")はこれまでのシーンで登場したメロディを開放的にアレンジしたものであり非常にうまくシーンを盛り立てているので是非注目してみてほしい*4

さて、自分の「物語」にとらわれることはこのようにコミュニケーションの不全を引き起こし、孤独を生み出す。

それだけでなくこの呪縛はさらに深刻な実存的問題を発生させる。

このことについて次節で解説してみたい。

3. 「物語」と「因果応報」

「因果応報」という考え方がある。

1節で見た「原因」と「結果」によって「物語」を作り出す人間の機能がこれに影響を与えているのは明白である。

ある原因に対して結果が見出されるのに対応してある罪に対して罰が与えられ、罰を与えることに正当性が見出される。

同じく『聲の形 公式ファンブック』の著者インタビューに以下のような文章がある。

登場人物たちが自分の人生を生きる上で便利な逃げ道として、起きている出来事に「因果応報」という言葉を当てはめて自分を納得させているわけです。私としては「因果応報」を大事な要素だとは捉えていません。(p172)

原作第32話で西宮母は硝子の聴覚障害について前世での「因果応報」だと夫の両親に言われて離婚を迫られる。

ここで登場する「因果応報」という言葉が引用文での「便利な逃げ道」としての用法を象徴しているだろう。

そうやって自分の「物語」の中で納得することで硝子の父とその両親は硝子と西宮母を切り捨てることを正当化しているのだ。

これは最も露悪的に描かれた例だが、その他にも「因果応報」というテーマは作品全体を通して登場人物の行動を束縛している。

例えば将也と硝子が頑なに自分を罰しようとするのも自分で作り上げた「因果応報」という「物語」にとらわれているからだ。

しかしながらこの作品は誰かが罰されて、「因果応報」によって過去が清算されることによる解決を肯定していない。

それが最もよく表現されるのは硝子の代わりに落下して昏睡した将也が目覚めてすぐに二人が橋の上で出会うシーンである。

「……俺も…同じこと考えてた。でも…それでもやっぱり、死に値するほどのことじゃないと思ったよ」

「だから…その…本当は君に泣いてほしくないけど…泣いて済むなら…泣いてほしい。もし俺が今日からやらないといけないことがあるとしたら、もっとみんなと一緒にいたい。たくさん話をしたり、遊んだりしたい。それを手伝ってほしい。君に、生きるのを手伝ってほしい」
(第54話)

なぜ「死に値することではない」のか、「生きることを手伝う」とはどういうことなのか。

この点は『聲の形』という作品を理解する上で要となる部分だろう。

これを読み解く上でまず重要なのが二人が陥っている、お互いがお互いに対して加害者意識を持ち続けているという特異な関係性である。

彼らは二人ともが自殺という結論に至るが、それによって何が起こるのだろうか。

自殺した方は自身の加害者意識から「贖罪」としてそれを行い、自身の「因果応報」という物語内である一定の納得を得るだろう。

しかしながら残された側もまた純粋な被害者ではない(と自分では思っている)。

すると結局のところ、相手が自殺することではその加害者意識はさらに膨らみ、一方の罪が裁かれることで救われるどころか状況はさらに悪化するのだ。

ならば、本当の意味での救いはどうしたら得られるのか。

それはお互いが自身の罪を乗り越えて幸福を得ることによってである。

川井によって将也の過去が暴かれたあと、また自分のせいで将也が不幸になったと思いつめる硝子の前で努めて明るく振る舞う将也の様子は、そのことに気づき始めていることを示している。

しかし硝子はまだ自分の「因果応報」という物語に捉えられて相手の声が聞こえておらず、本当の救いへの道が見えていない。

だがこの引用文のシーンでついに彼らは自身の「物語」の外へと手を伸ばすことができた。

「生きるのを手伝って欲しい」というのは一見身勝手なセリフに見えるが、これは自分が幸せであることが相手の幸せの条件であり、その逆もまた成り立つというこの構造から出ている。

すなわち将也自身が幸せでなければ、加害者意識を持ち続ける硝子も幸せになれないということに気づいた上でのセリフなのだ。

これによって彼ら二人は自分で作り上げた「因果応報」という物語から踏み出して、真の意味で救われる道が開かれたと言えるだろう。

それは過去を清算することでも忘れることでもなく、真の意味で過去を受け入れて前に進むことだ。

4. 硝子はなぜ恋をしたのか?

原作第23話において硝子は将也に対する想いを告白するが、それは伝わらない。

これは単に彼らの間で未だにコミュニケーションがうまくいっていないことを表現するシーンと解することも可能だが、もう少し本論のテーマに沿って解釈してみたい。

そもそも硝子が恋愛感情を持つのは唐突な印象を受けるし、様々なところで作品の批判の対象となっている。

私も原作を初めて読んだときは驚いたし、この点はずっと疑問が残り続けてきた。

恋が突然襲いかかるものだということで納得するには、作者の意図が見えなかったのである。

しかしながらこの点も「物語」からの離脱というテーマから考えると一つの解釈が生まれる。

その前に少し補足説明として人間の思考の起源について考えたい。

「物語」を作る因果による思考は人間が脳を発達させる過程で身につけた能力であると考えられる。

そしてこの能力は過去の経験を因果の形で結びつけて様々な因果関係を考えることで、現在という原因から未来という結果を予想するために用いられる。

この能力が進化したのは、より詳しく、より遠くまで未来を予測することができる個体の方が厳しい自然の中で生存する確率が高いからだ。

しかしながら、恋はもっと早い進化の過程で生まれる感情で、より心の基礎の部分に存在していると言えるだろう。

なぜなら未来を予測する能力を持たないような生物でも(性別があるなら)恋をするからだ。

だから、恋には「物語」を、因果を飛び越える力が備わっている。

大今良時がこの作品で恋を描いたのは、「物語」を超えていくというテーマを表現する最も強い感情の一つが恋だったからだろう。

硝子はそのときはまだ「因果応報」という物語にとらわれたままであるが、心のもっと奥から湧き上がる感情はそれを軽々と超えていく。

だから恋愛感情は将也の過去の行いを許すことや硝子自身の罪悪感とは無関係に飛び出してくるのだ。

ゆえに「硝子はなぜ恋をしたのか?」というこの節のタイトルの問いはそれ自体ナンセンスということになるだろう。

なぜなら恋を合理的に解釈することがすでに「物語」 の合理性のレベルでの議論であり、大今良時はそういう合理性にとらわれることを批判しているからだ。

5. 物語において「物語」を超えること

ここで浮かび上がってくるのが「物語」を超えることを語ることの難しさである。

「物語」という形式を批判すると言っても、そもそもこの文章も『聲の形』という作品も一つの筋道を持った物語だ。

つまり、因果的に合理性を持った物語という形の中でその因果からの離脱、すなわち不合理の肯定を宣言するという一つの矛盾が発生している。

そもそも完全に不合理なストーリーを描くことでこの矛盾を解消する方法もあるが、それでは誰に対しても何を言っているのか伝わらない。

ここで分かるとおり、コミュニケーションは「物語」という形式を前提としているのだ。

それでは『聲の形』という作品はどのようにしてこの問題を乗り越えているのだろうか。

それは一つのストーリーに二重のテーマを織り込むという仕方によってである。

まず一見して分かる通り、この作品はコミュニケーションをテーマとしている。

コミュニケーションというテーマについて語る限りでストーリーとしては整合性があり、問題提起とその解決が得られるようになっている。

ただその中に「物語」の超越という裏のテーマとでも呼べるものが寄り添っているのだ。

すると、特にコミュニケーションというテーマに焦点を当てて簡素化された映画版を見た時ある部分については不合理なストーリーだという印象を受けるだろう。

過去の「いじめ」という罪は「因果応報」という形で清算されず、硝子はなぜか自分をいじめていた人間に恋をする。

しかしながらその不合理は、一つのテーマとして作者によって意図されたものなのだ。

この手法によって「物語」において「物語」を超えることを一面では整合性のあるストーリーの中で表現、伝達することが可能となった。

聲の形』がストーリーの不合理性によって批判を受けることは、この矛盾を乗り越えるための必要経費と言えるだろう。

そしてまた、「物語」を超えることを描くためにその「物語」という形式を必要とするコミュニケーションをテーマとしてストーリーの中核に据えたことも興味深いポイントであるだろう。

それは生きる上で必要な「物語」(それは進化の過程で生き残るために身につけた能力であった)が時として人間を縛り付け不幸へ導くことの表現であるように思われる。

人間が持つ様々な能力は長い進化の歴史の中で場当たり的に身につけたものであり、それらは時に現在の環境との不整合を引き起こす。

そのような人間の不完全さをこの作品のテーマとして読み取ることも可能だろう。

*1:決定論 - Wikipedia

*2:re-venant.hatenablog.com 決定論と人間の思考方法の関係についてはこの辺りが参考になるだろう。

*3:

*4:[asin:B01IP7Y7MG:detail]

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