2018年のアニメ10選(単話)
- 『衛宮さんちの今日のごはん』第1話 年越しそば
- 『DEVILMAN crybaby』X 泣き虫
- 『宇宙よりも遠い場所』STAGE10 パーシャル友情
- 『グランクレスト戦記』第11話 一角獣城、落つ
- 『ダーリン・イン・ザ・フランキス』最終話 わたしを離さないで
- 『異世界魔王と召喚少女の奴隷魔術』最終話 真贋対戦
- 『プラネット・ウィズ』第12話 見ろ、宇宙は祝福に満ちている
- 『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』第12話 レヴュースタァライト
- 『ハイスコアガール』ROUND2
- 『やがて君になる』第13話 終着駅まで/灯台
『衛宮さんちの今日のごはん』第1話 年越しそば
emiya-gohan.com
どの選択肢をどうやったらこんな世界に行き着くのかというFate stay/nightの派生作品。1話の年越しそばに込められた意味、「末長くそばにいられますように」という願いは、「セイバーがサーヴァントにならないこと」=「もう二度と会えないこと」がセイバーを本当に愛することの答えだったstay/nightのセイバールートでは決して叶わないもので、それが叶うこの世界の優しさが沁みる。
『DEVILMAN crybaby』X 泣き虫
10話は特にクライマックスの場面のバトンを渡そうとし続ける描写が素晴らしかった。
「大嫌いだけど大好き」/「悪魔だけど信じる」/「お前のために泣いてやりたいけど、涙も枯れ果てた」/「殺したけどどこかにいて欲しかった」 というようにこの作品は悪魔でありながら人間でもあるという「矛盾」した存在であるデビルマンを象徴として、様々なキャラクターの矛盾した心が描かれていたように思う。 しかしそれは批判ではなく、矛盾を含めて受け入れるという優しさに満ちた描かれ方であったように感じる。
『宇宙よりも遠い場所』STAGE10 パーシャル友情
どの話も良かったので一つ選ぶのが難しい。10話は個人的な共感があって心に残っている。詳しくは以下の記事に書いてある。
re-venant.hatenablog.com
『グランクレスト戦記』第11話 一角獣城、落つ
戦記ものなので人が死ぬ。その死に方に物語の焦点が当たるといってもいい。11話ではアルトゥーク陣営のそれぞれの負け方、死に様が1話に凝縮して描かれていて、そのどれもがかっこいい。
『ダーリン・イン・ザ・フランキス』最終話 わたしを離さないで
この話の少し前にヘラクレイトスの「同じ川に二度入ることはできない」を引いておいて、それでも川が流れ続けていれば宇宙のどこかでまた同じ川が現れるかもしれない、つまり世界が変化し続けるならまた出会えるかもしれないというラストに持っていくのがすごく良い。永遠の停滞に対する生成変化の肯定、だからこそここで終わるとしても「生まれてきてよかった」。
このラストはトップをねらえ!の変奏ではあるけど「帰還」を「回帰」に読み替えて本作のテーマを貫いているのも素晴らしい。
ところでこのサブタイトル『わたしを離さないで』はノーベル文学賞作家カズオ・イシグロの同名作品から来ている。この話から興味が出て元ネタの方を読んで見たところ、とても良くできた作品だったので二重にこの話が印象に残っている。
『異世界魔王と召喚少女の奴隷魔術』最終話 真贋対戦
お色気面で話題になっていた様子なこの作品だが、話自体も非常に良く練られている。特に最終話で奴隷魔術を活用した問題の解決があったり、転生前は独りだったディアヴロがこの世界で居場所を得られたことがアリシアに救いの道を示すことになったりと無駄がない。「転生」や「チート能力」が本人だけでなくその異世界の人間も救っていく展開が好きなので満足感が高かった。
『プラネット・ウィズ』第12話 見ろ、宇宙は祝福に満ちている
11話の予告時点でこの「見ろ、宇宙は祝福に満ちている」というセリフがこう回収されるんだろうなぁ……と想像していた最高の展開が実際にやって来て、そしてその上でもう一段階超えていった感じだった。竜の行いはシリウス人にとっては災厄でもリエル人にとっては救いであり、「愛」の視点からそうして見る側面を変えることで全てに祝福を見出すことができる。そうした信念を証明するために戦い抜いた先生がかっこいい。
『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』第12話 レヴュースタァライト
これも1話選ぶのが難しい作品。あえて選ぶとすれば、個人的に待ち望んでいた「台本」を超えていく展開にたどり着いた最終話だろうか。舞台に立つたびに「再生産」されていく「アタシ」が「スタァライト」を超えていくから「レヴュースタァライト」。台本が決められた舞台の上でも、彼女たちはそれを超えて自由にスタァライトする(?)ことができる。
キリンがこちらに語りかけてくる展開もメタ性があり、物語の登場人物とそれを見る私たちという構図が2017年の『Re:CREATORS』からの流れが感じられて嬉しい(ちょっと牽強付会な気もするけど)。
あと英語版の台本を読んで新しい解釈を思いつく展開から、やっぱり哲学書とかも翻訳じゃなくて原著を読まなきゃダメだなぁと思ったりした。
『ハイスコアガール』ROUND2
ハイスコアガールはとても心に残るラブコメだった。特に2話で大野が春雄の自転車の後ろに乗って遠くの変なゲーセンまで行き、帰りには二人で河川敷を歩いてメンチカツを食べたりした思い出が彼女の心にずっと残り続けることを考えて感動していた。大野が一切喋らないので、その表情の細かな変化で心情が上手く表現されていたのも良かった。
『やがて君になる』第13話 終着駅まで/灯台
このアニメ化は非常に素晴らしい出来栄えだった。特にオープニングの映像が美しい。
13話の前半では、「終着駅まで」というサブタイトル、墓、川を流れて行く蝉の羽、通過する電車に向かって一歩踏み出す橙子など「死」のモチーフが繰り返し現れる。生徒会劇が終わって姉のやり残したことを終えてしまったら、その姉「として」生きて来た橙子は行き場を失って死んでしまう。その行き詰まりの転機となるが侑の存在だ。彼女は橙子の手を引いて明るい場所へと連れていってくれる。勝手に『やがて君になる』のテーマソングに脳内設定しているKalafinaの『君が光に変えて行く』の「こんなに明るい世界に 君が私を連れて行く」という歌詞まんまのシーンがあって感動した。
そしてアニメの最後の水族館から二人で電車で帰るシーンでは侑が橙子に「乗り換え」を告げる。つまり彼女と一緒なら「終着駅」ではない別の場所へと行けることが示されている。姉として生きる橙子からやがて「君」、すなわち橙子自身になり、他でもない自分として生きる彼女へと乗り換えていくことができるのだ。
ところでこうした自己の非自己性、つまり人が通常は他の誰かとして生きていることはハイデガー的な論点かもしれないと思った。「やがて君になる」とは他者へと頽落した現存在が本来的な自己を取り戻すことだ、とか言ってみると面白いかもしれない。