心理の矛盾を許容する

1.矛盾許容論理

矛盾許容論理(Paraconsistent Logic)というものが存在する。

それが何なのかと言うと、いわゆる「嘘つきのパラドックス(Lier Paradox)」などの直感的にもっともらしい矛盾を認めた上でも、論理の体系が成り立つようになんとか頑張ろうという試みである。


ある命題Aは真であり同時に偽でもあるという矛盾は、アリストテレス以来守られてきた伝統ある「矛盾律(the Law of Non-Contradiciton(LNC))」によって偽であるとされてきた。

矛盾律を形式的に書くと「⊨ ¬(A ∧ ¬A)」となる。


なぜその矛盾律を守る必要があるか少し説明しておく。

古典論理上で例えば命題Aが真でありかつ偽であるとすると、Bを任意の命題として「A , ¬A ⊨ B」という推論が成り立つ*1

これは「爆発律(ex contradictione quodlibet (ECQ))と呼ばれる。

矛盾律を認めないとこの爆発律によってあらゆる命題(B)が証明されてしまう。

これが何を意味するのは、「私は嘘つきである」「私は嘘つきでない」という二つの命題が真であると認めた瞬間、「ニーチェスクランブルエッグである」という命題も真であると認めざるをえないということである。


任意の命題すべてが真であるなら論理の体系に意味があるとは思えない*2

しかし何がしかの矛盾はどうしたって存在するように思われる。

ということでこの爆発律による論理の爆発を何とかして食い止めて、矛盾をその体系内に取り込んだ上で有意味な論理体系を作ろうというのがParaconsistent Logicの試みである。

(この爆発律による爆発を防ぐための手立ては込み入ってテクニカルなので割愛する。
また、Paraconsistent Logicの多くの体系は爆発律を排するだけで矛盾律は保持している。)

2.心理の矛盾

以上のようなことを講義で聞いていて、論理だけでなく私たちの心理もまた矛盾しているとよく言われるな、と思った。

基本的には私たちの心理における矛盾は対立(コンフリクト)として扱われる。

その対立はどちらかの欲求が勝利することで解消され、私たちは何がしかの行為に移る。


例えば、「Xという場所に行きたい」「Xという場所に行きたくない」という欲求がそれぞれあるとする。

最終的にどちらかの欲求に基づいて行動するわけだが、選択されなかった欲求は間違っていたということになるのだろうか。

古典論理のように矛盾を許容しない考え方でいると、やはりどちらかが間違っていたことになる。

しかし上記のParaconsistent Logicの考え方を採用してみると事態は一変する。

「Xという場所に行きたい」「Xという場所に行きたくない」という欲求がどちらも正しいということが可能となってくるのである。


確かに、どちらの欲求にももっともな理由があり間違ってはいないという状況はありうる。

それは例えば、Xという場所に会いたい人と会いたくない人が同時にいるといった場合だ。

その場合に無理やりどちらかの欲求が間違っていると決めて行動するより、どちらの欲求も正しいが正しさ以外の何らかの原因によって行為が選択されると考えた方が気が楽そうである。


意識とはたくさんの流れの中から偶然スポットライトを当てられた一つの流れであるという考え方を見ていると、現在意識にのぼっている欲求も広大な無意識の中から偶然浮かび上がってきたものという風に考えられる。

それならば、矛盾する欲求の中からひとつが選ばれて行動に移るというのも単にそれらのうちの一つがその時偶然意識上にあったからに過ぎないのではないか。

要するに、「Xという場所に行きたい」と言う欲望が勝つのは単に偶然によってしかないということである。


偶然によってどちらかの欲求が選ばれるのだとしたら、二つ矛盾する欲求は真偽の上では依然として矛盾している。

だからと言って行為がなされないわけではないし、その行為が必ずしも間違っているというわけでもない。

だから、矛盾を認めたままでも私たちは今まで通り生活できるのだ。

そもそも、私たちが常に正しく選択できるわけがないではないか。

3.矛盾を許容する生き方

矛盾する欲求を抱えている時、どちらかが間違っているはずだと考えて理由や動機の粗を探すのは大変である。

さらに言うと、そんな粗が見つかるという保証もどこにもない。

それならば、心理の矛盾を許容して「まあそんなものか」と泰然としているのが楽な生き方であるように思われる。

矛盾していたとして、自分の心理についての信念体系が崩壊して何もわからなくなり何もできなくなるというような心配はないのだから、無理をして矛盾を解消する必要はない。

論理も矛盾して、欲望も矛盾して、信念も矛盾して、それでも一向に構わないのである。

参考

いつものスタンフォード哲学辞典。
無料で読めて充実の内容。リファレンスも豊富。

矛盾許容論理の第一人者の一人とされるGraham Priestの"One"という本を教授に紹介されて挑戦したが最初の数章で力尽きた。

いかにして部分が全体になるのか、という点についての「ブラッドレイの退行」と呼ばれる退行をgluonという対象であり対象でない矛盾した存在を用いて打ち破る、といった試みであるらしい。

「多値論理」というものを用いるので、「真」「偽」以外の第3、第4の真理値が登場して見たこともない記号が乱舞してめまいがする。

上記のStanford Encyclopedia of Philosophyの”Paraconsistent Logic”の一部や”Dialetheism”の項もよく見るとPriestが書いている。

*1:これが成り立つのは古典論理の公理と推論規則を採用した場合である。

*2:この爆発を認めて任意の命題すべてが真であるとする立場があり、Trivialismと呼ばれる。