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ダニエル・C・デネット『解明される意識』第Ⅱ部

解明される意識

解明される意識

re-venant.hatenablog.com



一部読むごとに内容をまとめていくシリーズ二つ目。

第Ⅱ部のタイトルは「心についての一つの経験的理論」である。

なお本文引用の際は脚注に「章番号.節番号.段落番号 ページ数」を付記した。


本文内容

5. 多元的草稿 対 カルテジアン劇場

デカルト松果体において精神と肉体が結びついていると考えたが、その考え方の名残は現在も残っている。

カルテジアン劇場」とは様々な感覚刺激によって引き起こされた信号が脳内の一点に集約されて、そこで考えるもの(res cogitance)に対して劇場のようにして上映されているのだという考え方である。

これに反論するためにデネットはある実験を持ち出す。

暗い部屋で視野内の少し離れたところに置かれた赤い玉と緑の玉に、赤い玉、緑の玉という順に交互に光をあてると、被験者には赤い玉が緑の玉の方に動いてその途中で色が赤から緑に変わるように見える。

カルテジアン劇場」を前提として考えると、記憶の改竄や意識に上る以前の感覚内容の改竄によってこの事象を説明しなければならない。

なぜなら知覚から生まれた信号が一点に集約されると考えると、まだ緑の玉を見てもいない途中の段階で(見かけ上)動く玉の色が赤かから緑に変わることが説明できないからだ。

意識に上った後の記憶の改竄や意識に上る以前の感覚内容の改竄という説明はどちらが正しいか決定できないため、デネットは新たに「多元的草稿」というモデルを提唱する。

多元的草稿とは、意識は統一された一つの因果的な流れ(最終稿)ではなく、様々な草稿としての流れであり、それらの流れは常に改訂、編集され続けているのだという考え方である。

これによると意識にのぼってくるものは客観的な時系列に従っているのではなく、主観的に編集された時系列に従う。

緑の玉を見て、次に見る玉の色が緑だということを知るのが玉の色が変化する時点より客観的には後でも、それを認識する意識の草稿が編集されて主観的には先に緑という色を知っていることができる。

それは緑の色を知った意識の流れ(草稿)が、玉の運動を錯覚する意識の流れ(また別の草稿)に働きかけて、それを編集してしまうことによる。


6. 時間と体験

この章では前章で提出された「多元的草稿」モデルによって、心理学、神経学上の幾つかの問題の説明が試みられる。

まず挙がるのが「メタコントラスト」と呼ばれる現象である。

これは例えば色つきの円盤を見せられてすぐ後にそれに代わってその円盤をぴったりと囲むような色つきの輪が見せられると、被験者は二番目に見せられたものだけがあったと報告する、という現象である。

最初の円盤は意識されなかったのだろうか、それとも意識はされたが記憶が消去されたのだろうか。

「多元的草稿」では、最初の刺激と二番目の刺激についての意識はそもそも別々の草稿であり、第一の草稿は被験者が現象を報告する際にはすでに第二の刺激によって改訂されて残らないのだと説明される。


次に「ピョンピョンうさぎ現象(cutaneous rabbit illusion)」と呼ばれる現象について考察される。

これは手首の部分を数回叩いた後に前腕部をまた数回、次に上腕部を数回というように叩いていくと、被験者は刺激が同じ間隔で規則的に駆け上がってきたと感じる現象である。

「多元的草稿」では、脳はそれぞれの刺激の空間的位置をしっかり把握しているのだが、手首に対する刺激の後に来る前腕、上腕への刺激によってそれぞれの刺激が等間隔に並んでいると単純化して解釈するのだ、と考えられる。

そしてその解釈によって最初に把握された正しい解釈が改訂されて、消えてしまうのである。


次に出来事の時系列というものがどのようにして把握されるのかという問題が扱われる。

神経パルスが脳に到達するには幾らかの時間が必要であるから、足に対する刺激と顔に対する刺激が同時に起こったとしてもそれが同時に脳にたどり着くわけではない。

ここで時間を表象する媒体(神経パルス)と内容(実際に出来事が起こった時間)の区別が重要となってくる。

なぜなら表象媒体が到着した順に出来事を並べると現実の出来事の順番と間に相違が出てくるからだ。

しかし、「多元的草稿」では「カルテジアン劇場」と違って出来事が時系列順に並べられて「上映」される必要はなく、例えば映画の映像とサウンドトラックを同期するように、表象内容の上で一致するようにそれぞれの草稿で捉えられた時系列を同期すればいい。

7.意識の進化

私たちの意識は三つの段階を経て進化してきた。

  1. 遺伝子の自然淘汰による神経回路の進化
  2. 可塑性を持った脳が自己を作り変えることによる進化
  3. ミームによる進化

というのがそれである。

まず遺伝子の自然淘汰による神経回路の進化について、自己複製子*1が自己をコピーする中で自己と世界の境界を定めると、「理由」が生じる。

自己複製子は、自分の複製のために利益となるものを求め、不利益となるものを避ける。そしてそれらを認識する必要がある。

しかし、この認識には免疫機構などを見ればわかるように中央司令室のようなものは必要なく、単純な作業によってなすことが可能である。

認識によっては既に得られたものが善いか悪いか判別することしかできない。

積極的に善いものを求め、悪いものを避ける移動性の生物は常に「私は何をするのか?」という問いを持ち、自分の身体をコントロールしようとする。

そのコントロールのためには神経システムが必要であり、またそのコントロールの鍵となるのは状況の追跡と予想である。

このようにして私たちの脳は情報を集めてそれを自己の生存に有利なように利用しようとする。


脳がある時点で学習などによる可塑性を持つと、それは環境の適応に対して圧倒的な効果を持つ。

そのことを説明する理論に「ボールドウィン効果」というものがある。

例えばある神経回路によって実現される特定のある戦略があり、それを持った個体は生存に対してかなり有利になるとする。

可塑性のない脳を持った生物なら、その戦略を実現する回路に近いものを持って生まれても、生涯それにたどり着くことはない。

しかし、可塑性を持った脳がそれに近い回路を持っていると、回路の組み替えによってその戦略にたどり着くことができる。

より詳しく言えば、その戦略を実現する回路に近ければ近いほど、回路がその戦略を実現するような形に組み変わる可能性が高くなり、生存の確率も高まる。

すると、特定の戦略を実現する回路に近いものも生存に有利な形質として保存され、次の世代では有利な回路やそれに近い回路を持った生物が多くなる。

それに対して神経回路に可塑性の無い生物は特定の回路を持った個体だけが生存に有利で、それに近い回路を持った個体はその他大勢と同じ生存の可能性しか持たないので、次世代においても生存に有利な回路を持った個体はそれほど増えない。

以上のようにして可塑性のある脳を持った生物群は、可塑性のない脳を持った生物群より早いスピードで最適な戦略にたどり着く。

これが進化の2段階目、可塑性を持った脳が自己を作り変えることによる進化である。


最後にミームによる進化であるが、ミームが存在するためには表象することのできる脳同士の間でコミュニケーションすることが必要である。

そのようなコミュニケーションが発達するためには、発話行為によって他者を刺激することで自己によって有益な情報が引き出されなければならない。

それゆえにコミュニケーションが発達する社会ではそれぞれの個体が他者の呼びかけに対して何かしらの有益な応答をするものと考えられる。

その呼びかけと応答は二つの個体の間に限定されず、自分と自分の間になされることも可能である。

自分に対して呼びかけることで応答の機能が発動して、脳の内部でのアクセス関係が成立していない部分から情報を引き出すことができる。

そこから自己刺激の様々な習慣が生み出されたのである。


ミームとは観念や情報の形をとった自己複製子で、文章や絵などの文化的媒体を人が認識することや模倣を通して広がっていく。

さて、遺伝子が一世代伝わるのに数十年かかり何かを学習することに数時間から数年かかるのに対して、ミームは最高で光の速度で伝わっていく。

それゆえにミームの伝播による文化の進化は今あげた三つの進化の段階の中で最も速い。


さらにこのミームはそれが媒体とする脳自身も作り変えていく。

例えば、中国語を母語とする人と英語を母語とする人で脳の機能自体が違っていることが知られている。

しかし、これを意識についての説明として用いる際に神経回路を顕微鏡的な視点から見ていてはミームによって生み出される機能を捉えられない。

そこでデネットはコンピューターソフトウェアとミームが実現する機能の類似性からこれを説明しようとする。

ソフトウェアは回路の配線ではなく、メモリー(記憶)に蓄えられ回路上でその都度実現されるパターンである。

そのようなソフトウェアは仮想機械(ヴァーチャル・マシーン)と呼ばれる。

この仮想機械は先天的に脳に備わったものではなく、文化を通じて後天的に実装された機能である。

脳はコンピューターと違って並列的だが、並列的プロセスによって直列的なノイマン型コンピューターをシュミレートすることは可能である。

アラン・チューリングが自分の思考プロセスを見つめることでチューリングマシーンを生み出したように、実際に私たちの意識プロセスにはチューリングマシーンのような直列的な仮想機械が備わっている。

この直列的プロセスが脳内で実現されるためのプログラムは「習慣」であり、その習慣はミームとして伝わってきたり自分で発見したりして脳に定着する。

脳内の仮想機械のプログラム自体がミームというひとつの自己複製子であるから、意識には当然ミーム自身の複製にのみ寄与して人間の活動に寄与しない部分もある。

しかし、習慣の集合が人間の活動に寄与する部分もあり、この章でデネットは以下のようなものを挙げている。

  • 長期的作業を行うための、自己への勧告や催促の能力
  • 自己のシステムを修正するための監視機能
  • 知識の想起

以上からデネット

人間の意識とは〈それ自体〉が一つの巨大なミーム複合体であって、これは、もともとそういう活動のためにデザインされたわけではない脳の〈パラレル構造〉に〈インプリンメント(実装)〉される、〈フォン・ノイマン型の〉ヴァーチャルマシーンの働きのことだとみなした時に最もよく理解できる。*2

と主張する。

8. 言葉は私たちにどのように働きかけてくるのか?

「多元的草稿」でありミーム複合体として仮想機械である意識はどのようにして発話行為を行うのだろうか。

デネットはこの章で二つのモデルを取り上げる。

一つはピム・レヴェルトが提唱するモデルでデネットは「官僚政治」と呼ぶ。

このモデルでは、発話行為はまず「概念化器」が前言語的メッセージを「定式化器」送り、そこで意識主体が持つ意図が言語として組み上げられて発話に至る。

ここで「概念化器」は「カルテジアン劇場」におけるホムンクルスと相似のすべての意味を司る主体である。

しかし「概念化器」が「定式化器」に前言語的メッセージを送るとすると、それは脳内語による一種の発話行為である。

すると、「概念化器」がいかにして脳内語を発話するのかという問題が生じてしまい、それゆえにこのモデルは無限に退行してしまう。


もう一つのモデルは「百鬼夜行(パンデモニアム)」と呼ばれる。

このモデルでは意味の主体は無く、それぞれの単語やフレーズ(「デーモン」と呼ばれる)が発話されようと競争しながら文法構造に入り込んでいく。

ここでコミュニケーションの意図は「官僚政治」モデルのように一つの主体から発せられるのではなく、これらのデーモンの競合の産物として生まれる。

このデーモン一つ一つがミームであり、それらは発話されることで自己の複製を行うことができる。

このモデルを支持する証拠として、スラングの普及やトミー・マーセルによる盲視症患者に対する実験、失語症の「ジャルゴン失語」が挙がっている。

またこのような競合のモデルは発話行為のみならず意図的行為全般に当てはまる。

9. 心のアーキテクチャ

この章はまずここまでのまとめから入る。

単一で決定的な「意識の流れ」などどこにも存在しないが、それは、意識の流れがその一点に集まって「中心の意味主体」となるような「中心の参謀本部」や「カルテジアン劇場」が、どこにも存在しないからである。

存在するのは、そのような単一の流れではなく、むしろ多元的なチャンネルなのであって、そこでは様々な専門回路が百鬼夜行状態を呈しながら様々な仕事を並列的に試みるうちに、「多元的草稿」が生み出されていく。

「物語」のこうした断片的草稿のほどんどは当座の活動の調整に束の間の役割をはたして消えていくが、中には、脳に潜んだ仮想機械の活動によって、目まぐるしいバトンタッチを通してさらなる機能的役割をはたすよう促されるものもある。

この機械の直列的性格は「ハードウェアに組み込まれた」デザイン特性ではなく、むしろそうした専門家たちの連携プレーの帰結なのである。
(中略)
(専門家たちの活動を取り込む流れを生み出す)このデザインの一部は先天的なもので、他の動物と共通のものであるが、そうした先天的デザインは、個人のかで自己探求の特異的結果として育まれたり、デザイン済みの文化的贈与として育てられたりする思考の微小習性によって、さらにいっそう重要なものになることもあれば、重要性をすっかり奪われてしまうこともある。

主として言葉によって伝えられ、言葉を欠いたイメージやその他のデータ構造などによっても伝えられる、何千という数のミームは、個人の脳を棲み処と定め、脳の傾向を様々な形に作りあげていくことで脳を一つの心に変えていく。*3 [()内は引用者補足]

次に心のアーキテクチャーに迫るために、認知操作のより現実的なモデルとして、ノイマン型コンピューターを発展させた「プロダクション・システム」や「コネクショニズム・システム」が紹介される。

「プロダクション・システム」とは、ノイマン型コンピューターで一度に一つのことしかできなかった作業スペースを黒板のように拡張して、誰にでも読めるように様々なメッセージを書き込めるようにしたものである。

このモデルでは、次に起こることは黒板の上のメッセージの読み取りと書き込みの結果として現れる。

またメモリーに蓄えられたパターン認識の〈プロダクション〉である「もしも - そのとき」という操作の条件文が黒板上のデータに反応して発動する。

このようなプロダクションを実装する様子を示すモデルの一つが「コネクショニズム・システム」である。

これは個々の専門的領域を「ブロック」として結びつけるモデルであるが、それによって意識が生じるのかについてはまだ議論が分かれている。

実際の脳内では作業スペースが確固として領域を持っているわけではなくそれは脳全体によって実現されている。

それゆえに例えば作業スペースを司るものと記憶装置を司るものがネットワーク構造を共有しているのである。

そうすると、個々の専門的領域は、自分の機能的同一性を保ちながらも「何でも屋」としても機能しなければならない。

このような様子を定式化するモデルは未だに発見されていない。


ディヴィッド・マーは心的現象を「計算のレベル」「アルゴリズムのレベル」「物理的レベル」の三つから分析しなければならないと言っている。

そこでデネットは心のアーキテクチャーの分析の最後に「ジョイス流の機械」としての意識を「〈問題〉を一種の情報処理の仕事として」分析する「計算のレベル」での分析を行う。

意識の機能としてまず挙がるのが自己抑制である。

この自己抑制によって集中して外界を探求して、他の動物にはできない仕方で自らを管理することが可能になる。

また、仮定的に考える能力によってこれから起こることをシミュレートすることができる。

そしてシミュレーションによって自分が現状にどうやってたどり着いたかの記憶(エピソード記憶)が発達する。

さらにこの記憶保存の習慣によって、それがなければ意識上の出来事が意味をなさなくなる「全体の脈略(コンテクスト)」を作り出すことが可能になる。

感想

まず「多元的草稿」モデルについてだが、確かに「カルテジアン劇場」を認めて記憶の改竄や意識に上る以前の感覚内容の改竄によって事象を説明するのよりはいいと思うが、「多元的草稿」を採用しなけらばならないという必然性はないように思う。

ただ、進化の考え方から見てわざわざ記憶のや感覚内容を改竄してまで「カルテジアン劇場」を作る必要はないというのは納得できるし、「多元的草稿」の方が合理的だとは考えられる。

少し話が逸れるが、「多元的草稿」について読んで思い浮かんだのが円城塔の小説『エピローグ』だった。

『エピローグ』では「多元的草稿」でのそれぞれの意識の草稿のタイムラインのように物語の筋(作中では「ストーリーライン」)が相互に改訂しながら進行していく。*4

円城塔は理系とはいえ博学なのでこのあたりの議論を踏まえていてもおかしくはないと思う。

「多元的草稿」理論を小説に応用するというのが『エピローグ』の着想の一つだというのは十分に考えられる。

また主観時間を並び替えて記述されてる小説である柴田勝家の『ニルヤの島』*5を以前に読んだが、未来から過去が改変されていて矛盾している点がどうしても納得できないでいた。

しかし主観時間ということは意識の流れであり、「多元的草稿」モデルを採用するなら主観時間上で未来から過去が改変されても問題ない。

このあたりの小説の読書と『解明される意識』の内容がリンクしてかなり楽しかった。


次に意識の進化についてだが、「ボールドウィン効果*6」は知らなかったので面白かった。

ミームについてはリチャード・ドーキンス利己的な遺伝子*7を読んでいたので前持って了解していたが、デネットの記述を理解するには予備知識がないと厳しそうだと感じた。

ミームが作り出す仮想機械が意識であるという主張は、確かに推論などは直列的なプロセスに従っているし納得はできるが、そこに至る議論に不備があるように思う。

自分の意識現象を見つめて直列的プロセスがあると認識してそれを誰かに説明したとしても、それはデネットの立場から言えば「ヘテロ現象学」的な言明として中立的に受け止められる。

そして、ヘテロ現象学的言明は客観的事実に基づかなくては単にフィクションとしか捉えられないはずだ。

デネットはここでは意識プロセスが直列的であることについて事実的な説明をしていないように見える。

ゆえにどれだけ仮想機械のアナロジーによって意識現象が説明できたとしてもそれは単なる現象学的な説明の域を出ない。

また仮想機械としての意識のインストラクションがミームの形を取った習慣である点はわかったが、CPUなどのノイマン型コンピューター、もしくはプロダクション・システムの他の部位が脳内でどのように実現されているのかがわからなかった。



第Ⅲ部のまとめと感想は以下。
re-venant.hatenablog.com

*1:Self-replicator, Self-replicating machineなど。リチャード・ドーキンスが『利己的な遺伝子』の中で用いた用語で、自分のコピーを作成できる何らかの存在を指す。遺伝子やミームは自己複製子の一種だとされる。

*2:7.6.1 p250

*3:9.1.2 p302, 303

*4:詳しくは以下の記事に書いた。 re-venant.hatenablog.com

エピローグ

エピローグ

*5:

*6:Baldwin effect - Wikipedia

*7:

利己的な遺伝子 <増補新装版>

利己的な遺伝子 <増補新装版>